2018年04月27日

「しる部会」

お疲れさまでございます。



堂々巡り。



4月17日(火)、今年度最初の「しる」部会を開催しました。
前回も書きましたが、年度末年度初めの「しる」部会は、大抵アイデンティティ・クライシスに陥りますので、掘り下げて、掘り下げて、掘り下げて、結果、



「困りましたなぁ〜」
(-。-)y-゜゜゜  ( ^^) _旦~~




と縁側で日向ぼっこしているご隠居のようにのんきにつぶやいたりしております(そんなご隠居はもう絶滅しておりますか?)。
というわけで、このブログで、さながら×××な×××のように、生き生きと活動している部会の様子をお伝えするのはしばらく先になるかもしれません(※「×」にはお好きな言葉を入れてください……自分で入れようと思ったら不穏当なものばかりだったもので……)。



もっとも、このブログの「しる」部会の記事で、ちゃんと活動をお伝えすることのほうが少ないですけれども。



「堂々巡り」、という言葉は、いつの頃からあるものか、どんな語源なのか、諸説あるようです。
祈願のために、いくつもお堂を巡ることだ(あるいはお堂の中をぐるぐる回ることだ)、というのが一般的でしょうか。
でも、それだとあまり、現在の言葉の意味「議論や考えが先に進まない、同じ場所を回っている」というネガティブなニュアンスにつながらないように思います。
語源となる事象と、使われている言葉の意味で、ニュアンスが変わってしまうこともままありますから、「願いをかなえるために、いくつもお堂を巡るのは<空しい>」ので「議論や考えが先に進まないことも<空しい>」という意味になっていった、かもしれません。

天台宗には千日回峰行といって、比叡山の諸祠堂をおよそ1000日の間、徒歩で巡り続ける、という修行があります。
「同じ場所を回っている」という「堂々巡り」のイメージだと、こちらのほうが近いのではないでしょうか。

また、仏教には「右遶三匝(うにょうさんそう)」という、仏に対しては右回りで周囲を三度巡る、という礼式があります。
これを実践しながら、なおかつ西国三十三カ所・坂東三十三カ所・秩父三十四カ所、計百の観音霊場を回ることができる、として江戸は本所の五百羅漢寺の三代・象先禅師が思いついたのが、いわゆる「さざえ堂」です。
「お堂の中」とはいえ、「同じ場所を(三度とはいえ)回る」ことになるので、「堂々巡り」っぽくはあります(実は、階を上り下りすることになるので、同じとは言えないのですが)。

ただ、どちらも、いまひとつ「議論や考えが先に進まない」とはつながらない感じがします。
とすると、「堂々」がそもそも、祠堂のことではないのかもしれません。

「正々堂々」という言葉は、孫子の「正正の旗、堂堂の陣」という一節からきているのではないか、と言われています(※「無邀正正之旗、勿撃堂堂之陳」……「秩序だって旗を掲げ、重厚な陣を敷いているものを攻撃することはない」……)。
では、この言葉は、「堂々巡り」へとつながるのでしょうか……よくわかりません。



世の中、すっきりすることばかりではありません。



それでは、この辺りで。



('◇')ゞ



[きふねYY]



名東区の豆知識:お休みです。
posted by 名東区障害者基幹相談支援センター at 14:43| Comment(0) | 協議会
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